平林と聞くとほとんどの方は『貯水池』を連想するのではないでしょうか。
今ある池は、大阪復興計画により昭和22年から36年にかけて大正から移ってきました。
今はほとんど池に材木の姿を見ることはなくなりましたが、輸入材木の増加から、水面一杯に
その姿を見ることができました。
昭和49年まではこの辺りを『釜口町』と呼んでいました。
その後『平林』という地名は、
沖合いを和歌山の平林甚勘が埋めたてたからという話と
陸軍管轄地を払い下げており、
当時の第八連隊長が平林盛人という人であったことに由来します。